音楽 POP/ROCK

ザ・キンクス 『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』

2019.12.20
ザ・キンクス
『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』
1969年作品


kinks j1
 『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』というフレーズを見て、2019年末現在の英国と結びつけずにいられないのは筆者だけではないと思う。何しろ12月半ばの総選挙で保守党が想定外の大勝利を収めてEU離脱は確実となり、スコットランドでは独立派のスコットランド国民党が議会を独占し、北アイルランドでも統一派が躍進。数年後の英国はイングランドとウェールズだけ......という展開だって否定できない。

 ご存知の通りこんな不穏なタイトルを冠したアルバムーー前後して登場したザ・フーの『トミー』と並ぶロック・ミュージカル的なコンセプト・アルバムの草分けだーーを、ちょうど半世紀前に作ったのはザ・キンクスだった。彼らがこの手のアルバムを作るのは初めてではない。1964年のデビュー当初は、あの名曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」のように簡潔なアイデアを簡潔に表した直情的ロックンロールで人気を集めたが、4作目の『フェイス・トゥ・フェイス』(1966年)辺りからヴォーカリスト/ソングライターのレイ・デイヴィスは、テーマをゆるく統一して曲を書き始め、ストーリーテリング力を開花させていく。また、アメリカでツアーができなかったことも手伝って(全米ツアー中の素行の悪さを理由に業界団体から演奏活動を禁止されていた)、インスピレーションを身近に求めた彼は、5作目『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』(1968年)で古典的な英国の風景、カルチャー、ライフスタイルを掘り下げ、サウンドもシアトリカルに作り込んで実験。1960年代末の音楽的潮流とはかけ離れたスタイルは聴き手にとってハードルが高過ぎたのか、商業的に失敗したことにも懲りず、バンドはコンセプチュアル路線を邁進することになる。

 もっともレイ自身は、英国の歴史と彼の家族の体験に根差した本作を〈コンセプト・アルバム〉ではなく〈ドキュメンタリー・アルバム〉と呼んでいる。誕生までの経緯も面白い。当初テレビドラマの制作を提案されたバンドは、脚本家とストーリーを練り上げて、これに寄り添う曲を用意。しかしいざ撮影という段階になって資金不足で頓挫し、あとに残った曲をレイ、弟のデイヴ(ギター)、ミック・エイヴォリー(ドラムス)、ジョン・ダルトン(ベース/1969年春に脱退した故ピート・クェイフが演奏する曲も含む)のラインナップでレコーディングしたのである。

 よってこれらの曲は細かなキャラクター設定に則って綴られているわけだが、タイトルにもなった主人公アーサーのモデルは、レイとデイヴの姉ローズの夫アーサー・アニング。第2次世界大戦中軍に召集されたアーサーは無事帰国したものの、戦後の英国社会に希望を抱くことができず、1964年に妻子を連れてオーストラリアに移住。デイヴィス兄弟の6人の姉の中でも最年長のローズとアーサーは、ふたりにとって親に近い存在だっただけに、家族が分断されることに大きな衝撃を受けたそうだ。

 そんな出来事に着想を得て家族の崩壊に国の崩壊を重ねた本作は、まず半世紀以上遡って、英国の繁栄のピークである19世紀のヴィクトリア女王の世からスタート。オープニング曲「ヴィクトリア」では植民地時代の英国の栄光と国民の誇りを歌っている。しかし次の「イエス・サー、ノー・サー」で時代は、ふたつの大戦に揺れた20世紀前半へ。マーチング・ドラム調のビートに乗せて、若い兵卒と上官のやりとりを描く。この曲が好例でレイは様々なキャラを演じ分けているが、命令に従うだけの従順な兵卒と、〈脱走者は遠慮なく撃ち殺して遺族に勲章でも送ればいい〉と蔑む上官、階級が異なるふたりのトーンのコントラストは鮮烈だ。

 そして凄惨な戦場を舞台にした「サム・マザーズ・サン」では戦死したアーサーの兄を追悼して、子供を戦争で失った母たちの視点で哀しみと怒りを表し、「ブレインウォッシュド」は、労働者階級に生まれた者は運命を受け入れるだけでいいのだろうかと問いかける。オーストラリアはまさに、そういう英国人にチャンスを提供する夢の国だった。ずばり「オーストラリア」と題されたA面のラストソングは〈君が若くて健康なら船に飛び乗ろう〉と誘う、移住のPRみたいな内容だ。7分近い曲の後半ではサイケなジャムが繰り広げられ、長い航海を想起させる。

 こうして故郷をあとにしたアーサーたちの新生活を、B面1曲目の「シャングリ・ラ」は〈理想郷〉というタイトルとは裏腹に、どこかメランコリックに描写。英国では不可能だった生活を手にしたものの、同じような家が立ち並ぶ街の風景は無味乾燥で、自分の決断を後悔しているように聴こえなくもない。でも、次の「ミスター・チャーチル・セッズ」と「マリーナ王女の帽子のような」はすかさず、一家が英国を離れた理由を思い出させる。前者は1940年のチャーチル首相の有名なスピーチ(「我々は浜で戦い、丘でも野でも戦うだろう......」)を引用して、勇ましいレトリックに隠された戦争の現実を改めて突きつけ、後者は、階級というコンセプトの不条理さを指摘。フィナーレのタイトルトラックはアーサーの決断を肯定し、時代に翻弄されながらも、ささやかな幸せを求めて不平等な社会に抗った彼を優しくねぎらっている。つまり本作は究極的に、階級社会と戦争に対する壮大なプロテスト・アルバムと呼んでも差し支えない。

 チャート上では前作と同様に苦戦する一方でメディアの絶賛を浴びた『アーサー〜』はまた、50周年を記念してさる2019年11月に、BBCによるラジオドラマ化が実現。オンエアに際してレイは、「戦争で闘ったアーサーの世代が直面したのは、文化的・社会的な大変革の最中にある、政情の不透明な国の姿だった。英国はまさに今同じような状況にあって、舞台は過去だけど、これは我々全員の未来を描くドラマなんだよ」とコメントを寄せていた。それから2カ月も経っていないが、ますます〈大英帝国の衰退ならびに滅亡〉に現実味を与える選挙の結果を受けて彼はどんな心境にあるのか、ぜひ知りたいところだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』収録曲
1. ヴィクトリア/2. イエス・サー、ノー・サー/3. サム・マザーズ・サン/4. ドライヴィン/5. ブレインウォッシュド/6. オーストラリア/7. シャングリ・ラ/8. ミスター・チャーチル・セッズ/9. マリーナ王女の帽子のような/10. 若くて純真な時代/11. ナッシング・トゥ・セイ/12. アーサー

月別インデックス