音楽 POP/ROCK

ソルト・ン・ペパ 『ベリー・ネセサリー』

2022.04.23
ソルト・ン・ペパ
『ベリー・ネセサリー』
1993年作品


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 進化とかポジティヴな変化は、決して上向きの直線を描いて起きるわけじゃない。「あれ、いつの間にか後退してない?」ってことがしばしばあるもので、往々にしてジグザグなのが現実だ。例えば、このソルト・ン・ペパの4枚目のアルバム『Very Necessary』(全米チャート最高4位)が1993年に登場した頃は、女性が作るヒップホップがいよいよ市民権を得たのだなと確信していた。ほかにもYo-Yoがいて、MCライトがいて、クイーン・ラティファがいて、ザ・コンシャス・ドーターズがいて、ローリン・ヒルがフージーズの一員としてデビューして、レフトアイことリサ・ロペスを擁するTLCがブレイクしていて、第37回グラミー賞ではソルト・ン・ペパとラティファがラップ部門を独占。女性の受賞は史上初だった。

 なのにどういうわけか、これだけ多くの女性たちの活躍は大きなうねりには発展せず、結局30年近くを経てようやく、女性アーティストに触れずにヒップホップを語れない時代が到来している。とはいえ、本作が叩き出した世界700万枚という女性ヒップホップ・アクトとして最多アルバム・セールス記録は未だ破られていないし、男性が女性に向ける視線をひっくり返して同じ土俵に立ち、女性の自己決定権を主張する本作のスピリットが、カーディ・Bやメーガン・ジー・スタリオンら今のシーンの主役に引き継がれていることは誰の目にも明らかだ。

 ニューヨーク出身、ハイスクール時代に出会ったソルトことシェリル・ジェイムズとペパことサンドラ・デントンのコンビに、のちに加入したDJスピンデレラことデイドラ・ローパーを交えたトリオは、この時点ですでに3枚のアルバムーー1986年の『Hot, Cool & Vicious』、1988年の『A Salt with a Deadly Pepa』、1990年の『Blacks' Magic』ーーを発表。キャラが異なるふたりのウィット溢れる掛け合いで支持を集め、一定の成功を収めていたが、700万枚を売っただけでなく2曲の全米トップ5ヒットーー最高4位の「Shoop」、同3位の「Whatta Man」ーーを生み、グラミー賞も獲得するという『Very Necessary』の突き抜けっぷりは、それまでの比じゃなかった。

 そんな飛躍を可能にした理由のひとつには、舞台裏で起きていた主導権争いがあったはずだ。というのもソルト・ン・ペパの作品では、グループ結成の発案者であるプロデューサーのハービー・ラヴバッグ・エイザー(当時ソルトのボーイフレンドでもあった)が音楽的主導権を握り、デビュー当初から楽曲制作を手掛けてきた。が、だんだん彼のディレクションを窮屈に感じるようになったメンバーは、自分たちの意向を反映させて外部のミュージシャンも起用するようになり、本作に至って自ら多くの曲でプロダクションも担当。結果として、最初の3枚ではやや一本調子だったプロダクションに抑揚がつき、ダンスホールあり(ペパはジャマイカ生まれだ)、メロウなR&B調ありと、曲ごとのカラーが明確になった。また、ジェイムズ・ブラウンの「Funky President」(「Groove Me」)やザ・スウィート・インスピレーションズの「I'm Blue」(「Shoop」)などなど1960〜1970年代のR&Bやソウルのサンプルを多用してファンキーなグルーヴ感を前面に押し出し、ヴォーカルのフックをプラスすることで、洗練されたポップソング集としてアルバムを提示しているのである。

 そしてそのグルーヴ感はメンバーからよりメロディックなラップを引き出し、ここにきてファッション面も含めて、彼女たちはタフなだけでなくフェミニンでもある女性像を描き始めた。そう、ヒップホップの世界で男性と対等に競うには女性らしさを否定する必要も、男性に媚びる必要もなく、男性と同様に女性も旺盛な欲望や野心を持っているのだというリアリティを、率直に突きつけている。例えば「Shoop」では〈私の弱点って何?〉と問うペパに、ソルトとスピンデレラは〈オトコ!〉と即答し、3人で色んなタイプの男性を言いたい放題に品評。もちろん、狙いを定めたら自分から行動を起こす。そういう彼女たちのセックス・ポジティヴ主義を「はしたない」と陰口をきいて「女はこうあるべき」などと価値観を押し付ける輩には、「None of Your Business」でタイトル通りに〈余計なお世話でしょ〉と一蹴。女性に対して使われる蔑称を必要とあれば男性にも適用するし、とどのつまりはフェアなのであって、リスペクトしてくれればこちらもリスペクトする、相互主義を標榜する。だから、リンダ・リンデルの1968年の曲「What a Man」を引用したアン・ヴォーグとのコラボ曲「Whatta Man」では、〈滅多にいない〉という前提付きながら、自分に尽くしてくれる男を徹底的に讃えるのだ。ここで言及する、デンゼル・ワシントンの顔にアーノルド・シュワルツェネッガーのボディという組み合わせが果たして好ましいものなのか疑問ではあるが......。

 そんな『Very Necessary』には、「I've Got AIDS(PSA)」と題されたフィナーレが待ち受けている。〈PSA〉とはPublic Service Announcement(公共広告)の略。かねてからHIVエイズ予防の啓蒙活動に関わっていた3人は(前作からのシングル曲「Let's Talk About Sex」も有名で、こういう問題提起を積極的にすること自体が当時は珍しく、物議を醸したことも指摘しておきたい)、同様に啓蒙に取り組む若者団体と組んで、HIVに感染した女性と無責任なボーイフレンドの会話を通じて警告を発しているのだ。よって終わり方は風変わりなアルバムなのだが、ソルト・ン・ペパのセックス・ポジティヴ主義は、あくまでセーフ・セックスが前提。無節操な生き方を推奨しているわけではなく、「自分のからだを大切にしよう」と訴える「I've Got AIDS(PSA)」があってこそ、本作は完結しているように思う。

 さて、このあとの彼女たちは印税収入の分配を巡る訴訟を起こしてハービーと袂を分かち、5作目の『Brand New』(1997年)以降アルバムこそ出していないもののツアー活動は続行しており、ソルトとペパの友情は安泰。たびたびテーマに取り上げてきた女性の連帯を、今も実践している。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『ベリー・ネセサリー』収録曲
1. Groove Me/2. No One Does It Better/3. Somebody's Gettin' On My Nerves/4. Whatta Man/5. None Of Your Business/6. Step/7. Shoop/8. Heaven Or Hell/9. Big Shot/10. Sexy Noises Turn Me On/11. Somma Time Man/12. Break Of Dawn/13. I've Got AIDS (PSA)

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