音楽 POP/ROCK

ジョーン・アーマトレイディング 『ジョーン・アーマトレイディング』

2023.06.27
ジョーン・アーマトレイディング
『ジョーン・アーマトレイディング』
1976年作品

joan armatrading j1
 1976年に登場したこのサード・アルバム『Joan Armatrading』(全英チャート最高12位)で世界的ブレイクを果たしたジョーン・アーマトレイディングの公式ウェブサイトを開いて、〈MUSIC IN MY LIFE〉と題された項をクリックすると、次のように始まる文章が目に入った。「私はソングライティングを愛しているから曲を書く。絶対にやめない。ソングライティングは私の血に流れている。曲を書いている時が一番ハッピー」と。一種のマニフェストと呼ぶべきなのか、やや素っ気ない決然とした語調の4つの文は、曲を書くという行為を自分のライフワークと見做しているジョーンが、世の動向を意識したり、名声を欲したり、見た目を飾って媚びたりすることに一切関心を持たない理由を端的に物語ると共に彼女の人柄を浮き彫りにし、フィオナ・アップルからアーロ・パークスに至るまで数多くの後続のアーティストに愛されている所以にも言及しているように思う。

 生まれ故郷は、カリブ海に浮かぶ英国領セントクリストファー・ネービスのセントキッツ島。7歳で渡英してバーミンガムで育ったジョーンは、幼い頃から短いストーリーや滑稽五行詩と呼ばれるユーモラスな定型詩を書くのが好きだったそうで、最初は家にあったピアノで、続いて中古で手に入れた安いギターで曲を書き始めたのが14歳の時。それから間もなく家計を助けるために高校を中退して働き始めたものの、ミュージカルの舞台に立ったりパブで歌ったりしながら音楽活動を続けて、Cubeという小さなレーベルと契約すると、1972年にファースト・アルバム『Whatever's For Us』を発表している。さらに3年後には大手A&Mに移籍してセカンド『Back to the Night』を送り出すのだが、これら2作品では作詞家と共作した彼女は、本作に至ってようやく100%自作の曲だけで全編を構成。初めて本人の顔が分かる写真をジャケットに使い、自身の名前をタイトルに冠しているとあって、いよいよ納得がいく作品を仕上げて世に問うたと言って差し支えないのだろう。

 そんなジョーンが当時の世の中を少なからず驚かせたというのも、決して不思議ではない。1979年の曲「How Cruel」で「私はブラック過ぎると誰かが言うと、別の誰かが〈ブラックさが足りない〉と答えた」と歌った彼女は、人種であれ、ジェンダーであれ、時代であれ、出自を超越していた。そもそも、独りで曲を書いて、アコギをかき鳴らして歌うブラック女性のシンガー・ソングライターなんて前代未聞だったし、(ステレオタイプな見方をするならば)カリビアンでありながらレゲエの影響は窺えず、かといって他のブラック・オリジンの音楽に立脚しているようにも見えない。また〈愛〉を永遠のテーマに掲げる彼女が扱う題材はポリティカルでもなく、殊更フェミニスト的なところもなく、いわゆる告白型にも該当しない。観察者でありストーリーテラーであって、あえて枠を与えるならばフォーク・ロックに該当するのだろうが、既存のジャンルやシーンに明確に関連付けて語ることができない上に音楽的ルーツの所在が不明瞭な、非常にミステリアスな一匹狼なのだ。

 そして一匹狼と言えば、デビュー当初は固定したバンドを持たず、レコード会社にプロデューサー選びを任せていたジョーンは、本作で勧められるままに組んだグリン・ジョンズと意気投合。以後計4枚でコラボすることになる、同じ英国人のグリンはご存知、ザ・ビートルズを筆頭に大物たちに重用され、この時期もザ・フーの『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』やイーグルスの『ならず者』など話題作を続々手掛けていた伝説的エンジニア/プロデューサーだ。ブリティッシュ・フォーク〜ロック界から集められた参加ミュージシャンの顔ぶれも彼の人脈を映しており、元フェアポート・コンベンションのデイヴ・マタックス(ドラムス)とジェリー・ドナヒュー(ギター)、元スモール・フェイセズのケニー・ジョーンズ(ドラムス)、ブリン・ハワース(スライド・ギター、マンドリン)、B・J・コール(スティール・ギター)といった名前がクレジットされている。

 こうした面々がグリンのディレクションのもとに、時にカントリーを思わせたり、ブルースの匂いをまとったり、ファンキーにリズムを刻んだりと緩やかにジャンル間を揺れつつ、張りのある低音と透明感が突き抜けるハイトーン・ボイスを縁取り、出しゃばらず、でも印象的な彩りを添えながら曲の魅力を最大限に引き出していく。中でも一番分かりやすい例はやはり、キャリア初のヒット・シングルとなった名曲「Love and Affection」(全英チャート最高10位)だろう。史上最も素晴らしいオープニング・ラインのひとつとされる〈I'm not in love, but I'm open to persuasion(今は恋はしていないけど、説得してくれるなら拒みはしない)〉で幕を開けるこの曲は、Aメロ〜Bメロ〜ブリッジ〜コーラス〜というスタンダードな成り立ちでありながら、どのパートも一筋縄では行かず、唐突にも思える男性のバリトン・ボイスのバッキングとサックスのソロを絡めて、こちらの予想をはぐらかしながら展開。そして必要最低限に絞り込んだ言葉で、友情と恋愛を対比させながら自分が求めている愛の在り方を明らかにしていくジョーンの語りに、するりと引き込まれてしまうのだ。

 そう、彼女の曲はシンプルなようでいて引っかかるポイントがそこら中にあって、複雑な心境・状況が実に簡潔に描かれ、普遍的でありながらもどこかにジョーン自身の強い意志を感じさせる。恋人に捨てられて自尊心を傷つけられた女性を冷ややかに見つめている「Down To Zero」然り、会ったばかりなの男性と一夜を過ごし、罪悪感を抱きつつも〈アイ・ラヴ・ユー〉の言葉に心地良さも覚えている「Water With the Wine」然り、人々の連帯を歌う曲なのかと思いきや、周囲の人たちに心を乱されることを嫌って「一人になりたい」と訴える「People」然り、〈fun fun fun fun〉と楽し気に繰り返しているのに、怒りと蔑みに満ちた「Tall in the Saddle」然り。ひとつひとつじっくりと練られた重層的な曲は、ソングライターとしての彼女が味わっている愉悦を伝えている。

 あれから半世紀近くが経ち70代に突入した今も、冒頭で引用した言葉通りに、こつこつと曲を綴り続けているジョーン。最近はホームスタジオで全パートを自分で演奏し、セルフ・プロデュースでアルバムを作っている。2021年にリリースされた最新作『Consequences』もそんな1枚で、30年ぶりに全英チャートの10位圏内にランクインして大いに話題を呼んだものだが、彼女の音楽は最初から流行と無縁だから時代遅れになることもなく、『Consequences』と本作を並べて聴いてみると驚くほど時間のギャップを感じない。相変わらず我が道を淡々と突き進んでいて、愛を歌っていて。変わらないことの素晴らしさを教えてくれている。
(新谷洋子)


【関連サイト】
JOAN ARMATRADING(Official)
JOAN ARMATRADING(CD)
『ジョーン・アーマトレイディング』収録曲
1. DOWN TO ZERO/2. HELP YOURSELF/3. WATER WITH THE WINE/4. LOVE AND AFFECTION/5. SAVE ME/6. JOIN THE BOYS/7. PEOPLE/8. SOMEBODY WHO LOVES YOU/9. LIKE FIRE/10. TALL IN THE SADDLE

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