音楽 POP/ROCK

ロイル・カーナー 『イエスタデイズ・ゴーン』

2023.08.26
ロイル・カーナー
『イエスタデイズ・ゴーン』
2017年作品


Loyle Carner j1
 先日5年ぶりの来日を果たしたロイル・カーナーのライヴを観に行ってから、彼のアルバムをずっと聴いている。デビューからの8年間にロイルは3枚のアルバムを発表していて、父親になったことを機に自身の血筋を深く掘り下げた2022年の最新作『Hugo』も好きなのだが、デビュー作『Yesterday's Gone』(2017年/全英チャート最高14位)を聴き直していて気付いたことが多々あったので、ここで取り上げてみたいと思う。そもそも彼について、「この人やっぱり面白いぞ」と筆者を前のめりにさせたのは、2016年に登場した本作からの先行シングル「No CD」だった。現在28歳だからフィジカルとデジタル両方の音楽の聴き方を知る世代だけに、「もうCDはいらない!」という話なのかと思いきや、ロックンロールなギターに乗せて聞こえてくるのは、親友かつメイン・プロデューサーであるレベル・クレフ(来日公演でも共にステージにいた)とロイルが繰り広げる、音楽オタク談義。有り金を全部ヒップホップの中古CDや、古典ロックのレコードを買うことに費やして、それを携えてふたりで部屋に籠もって、サンプリングし、ループして、トラックを組み立てて、ラップを乗せて、CDを焼いて......と、曲作りのプロセスをまるで料理の手順を辿るかのように、実に楽しそうに教えてくれるのである。ちなみにロイルは料理が得意で、自分と同じADHDを患う子どもたちを対象に料理教室を主宰していることが有名だから、料理を想起させたのは偶然ではないと思う。また、「ジェイZもODB(=オールド・ダーティ・バスタード)もあるけど、俺はOCD(強迫性障害)だから正しい順番に並べてくれよ!」というキメ台詞もウィットが効いているし、中古レコード店でアナログ盤を繰るロイルとクレフの姿を写したシングルのジャケットは、恐らくDJシャドウの名盤『Endtroducing』へのオマージュ。とにかく、音楽愛が隅々にまで染み渡っているのだ。

 こんな素敵な曲を作るロイルって、じゃあ何者なのか? 彼はロンドン南部の出身、母は白人で父は南米ガイアナ系というミックスド・レイスの英国人ラッパーだ。10代から音楽活動を行なう傍ら、アデルほか数多くのスターを輩出したパフォーマンス・アートの専門校ブリット・スクールで演技を学んだ。その後、実父に代わって自分を育ててくれた継父の死を受けて、家計を助けるべく大学を中退してミュージシャン業に真剣に取り組み、ベンジャミン・コイル・ラーナーという本名にひねりを加えたロイル・カーナーの名で、2014年にEP『A Little Late』でデビュー。早速注目を浴び、さらに3年後に本作を送り出した『A Little Late』もそうだったが、そんな彼の定番テーマは、第一に家族。身近な場所で、身近な人たちに起きている出来事を率直な言葉で語り聞かせる。よってある種ドメスティックなぬくもりが持ち味であり、本作のアルバム・ジャケットはまさに家族や友人やコラボレーターの集合写真だという。10年以上前に亡くなったためここには写っていないが、ゴスペル・クワイアに乗せたオープニング曲「Isle of Arran」もまた、ロイルにとってお手本的存在だった祖父へのトリビュート。タイトルのアラン島は祖父が住んでいたスコットランド沖の島で、彼はここで最愛の母ジーンと実父にも言及し、実父が家族を捨てたという事情を示唆する。

 以後ジーンはアルバム全編を通じて繰り返し姿を見せ、「Sun of Jean」(〈Son of Jean=ジーンの息子〉ならぬ〈ジーンの太陽〉だ)には、彼女が息子を褒め称えるポエトリー・リーディングをフィーチャー。聴いていて少々気恥ずかしくなってしまうくらいなのだが、この曲によると、幼い頃はレストランでテーブルの上に砂糖を広げて絵を描いていたという息子が、やがて〈言葉で絵を描く〉ようになっていく姿を見守ってきた、母のプライドと喜びが伝わって来る。また「Florence」でロイルが描くのは、想像上の家族。落ち込んでいた自分を慰めるために、ずっと欲しかった妹がいる楽しい生活を思い浮かべていて、前述した通り料理好きの彼は、妹のために〈おばあちゃんの味〉を再現したパンケーキを焼いている。そして「Mrs C」では友達の病身の母(C夫人)を訪ね、今度は彼女が作るベーグルのおいしさに言及。ついつい食べ物ネタを挿まずにいられないらしい。

 他方、ドラッグがもたらす悲劇を題材にした「No Worries」、或いは「Ain't Nothing Changed」では、こうした室内劇的な風景からしばし離れて、ロンドンのストリートに舞台を移す。自分が評価を得始めた時期を振り返る後者では、音楽界の荒波にもまれ、家族を養うことのプレッシャーと闘いながら、〈学生時代に戻りたい〉と嘆くロイル。とにかく、挑発するとか、豪語するとか、威圧するといったラッパーの定番的アティチュードとは無縁な彼は、徹底して謙虚で飾らない。

 縁がないと言えば、グライムの台頭を目の当たりにした世代であるにもかかわらず、そこには属さず、UKヒップホップ界に独自のスポットを確保している。クレフや、ソロ・アーティストとしてもお馴染みのトム・ミッシュが用意したトラックは、生楽器サウンドが主役の、ジャジーでメランコリックなブーンバップ路線で統一。そして、ファーサイドからJ・ディラまで自分が愛するアーティストたちの名前をライムに織り込んで音楽的な拠り所を明確にし、ラストの表題曲では、やはり子どもの頃から憧れてきたナズの前座を務めたエピソードに触れている。しかも、『ハンキー・ドリー』時代のデヴィッド・ボウイを思わせるこのフォーキーな曲では、継父が弾いたピアノの音をサンプリング。弟への愛を語って、母の苦労をねぎらい、ここまで辿り着くことができた喜びを家族と分かち合っているのだ。このあとロイルは、本作に続く2枚目のマーキュリー候補作となった『Hugo』に至って、実の父親と和解し関係を修復したことを我々に報告してくれたわけだが、モチベーションもインスピレーションも全て家族にある彼、次のアルバムでまたファミリー・サーガの次章を聞かせてくれるのだろう。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Loyle Carner
Loyle Carner "Yesterday's Gone"
『イエスタデイズ・ゴーン』収録曲
1. The Isle of Arran/2. Mean It In The Morning/3. Damselfly/4. Ain't Nothing Changed/5. Swear/6. Florence/7. The Seamstress (Tooting Masala)/8. Stars & Shards/9. No Worries/10. Rebel 101/11. No CD/12. Mrs C/13. Sun Of Jean

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