音楽 POP/ROCK

シンディ・ローパー 『シーズ・ソー・アンユージュアル』

2012.08.28
シンディ・ローパー
『シーズ・ソー・アンユージュアル』
1983年発表

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 『シーズ・ソー・アンユージュアル』は、当初日本では『N.Y.ダンステリア』というタイトルで発売された。カラフルでポップなLPジャケットは最初のヒット「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」(これも「ハイ・スクールはダンステリア」と名付けられていたので、そちらで馴染んだファンが多いはずだ)の賑やかで楽しいビデオ・クリップのイメージをうまく伝えていたものだ。1983年の秋に発表された『シーズ・ソー・アンユージュアル』から、まずその「ガールズ〜」が全米チャートを駆けのぼり、1984年春に第2位を記録する。実の母親から人気プロレスラーのルー・アルバーノ、当時新進ロック・アーティストだったスティーヴ・フォーバートまでが出演したコメディ・タッチのクリップは、また一方でシンディをその一発だけで記憶の片隅に片付けてしまう危惧をも抱かせたが、それをはっきりと回避させたのが、続く「タイム・アフター・タイム」だった。1984年6月に今度は堂々の全米第1位に輝いたそのバラードには、最初のヒットでは描かれていなかった感性と夢とが込められていた。さらに、「シー・バップ」が同第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が同第5位まで上昇し、全米チャートでデビュー作から4曲連続トップ5入りを果たした最初の女性アーティストとしてシンディの名は歴史に刻まれることになる(その後も「マネー・チェンジズ・エヴリシング」が同第27位に)。繰り返されるシングル・カットと好反響とは当然アルバムのロングヒットに結びつき、『シーズ・ソー・アンユージュアル』は全米チャートの第4位まで上昇後も長期にわたりランク・インを続け、今日までに1600万枚を売っている。

 シンシア・アン・ステファニー・ローパーは1953年6月22日に生まれた。ニューヨークのブルックリンからクイーンズのブールバード病院に向かうタクシーの座席で半分この世に生を受けていた、というのが彼女の生まれながらにして〈アンユージュアル〉だったエピソードとして紹介されている。5歳の時に離婚した母に従い、姉と弟とクイーンズで育ったシンディは、12歳でギターを手にし、歌と曲作りを始めた。17歳で愛犬スパークルを連れてカナダへ放浪の旅(長期の家出)に出て、1971年には大学で美術を学ぶが、やがてニューヨークに舞い戻り、1974年にロング・アイランドのバンド、ドック・ウェストに、次いでフライヤーに参加し、3年余りを過ごしている。
 ジャニス・ジョプリンなどを歌っていて喉を痛め、再起不能とも診断されるが、1年をリハビリテーションに費やして声を取り戻す。その後ジョン・トゥーリと出会い、ブルー・エンジェルを結成。1980年にはポリドールからメジャー・デビューを飾るが成功は覚束ず、まもなく解散。ブティックの店員や日本食レストランのウェイトレスをやりながらチャンスを待ち、1981年に〈MIHO〉なるバーで流行のヒット曲のカバーを歌っていた時にデヴィッド・ウルフに見出された。自己破産に追い込まれるなど苦境に立ったシンディに対し、ウルフはマネージャーを買って出て奔走。ついに1983年、大手CBSレコードのポートレイト・レーベルとのソロ契約を結ぶのに成功するのであった。

 『シーズ・ソー・アンユージュアル』を今聴くと、1980年代前半までの時代特有の、エレクトロニクス/コンピュータが馴染み切っていない、やや無機質でペラペラなサウンドが耳につき、いささか味わいや深みに欠ける気がする。しかし、アルバムはそれを凌駕する楽曲の充実ぶりと、真実味あるいは切迫感を訴えかける豊かな情感に満ちた歌声に溢れている。それらは彼女が経てきた歩みによって醸し出されたものだろう。南部のガレージ・バンド、ブレインズ(後にジョージア・サテライツに関わるメンバーがいた)の「マネー・チェンジズ・エヴリシング」、ロバート・ハザードの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」、プリンスの「ホエン・ユー・ワー・マイン」と、自作曲以外の選択も絶妙だった。ここでセンスを発揮しているCBS専属プロデューサー、リック・チャートフはかつて自分が加わっていたベイビー・グランドなるグループ時代の仲間2人、すなわちロブ・ハイマンとエリック・バジリアンをレコーディングに起用し、バンド志向の強かったシンディに最高の環境を提供している(その後、彼らのチームはそのままフーターズの素晴らしい仕事に邁進していく)。

 〈風変わりなのがいいという訳じゃないの。ただ自分自身でさえあれば、ありのままで構わないってこと。どこか欠点があったって、全然問題じゃない。私は何かを伝え、本物の人間性を表すような音楽を、作りたい〉ーー彼女のそんな哲学は圧倒的多数の同性に強く支持され、もちろん異性のファンもその人柄を心から愛した。

 忘れられない。ある音楽雑誌での森田義信さんによるインタビュー記事で、シンディは日本のファンが自分にとって特別なのはこの国で体験したマジックのためだと語っていた。来日ステージで期せずして観客からの「トゥルー・カラーズ」の大合唱が湧き起こり、その時得た感動が何にも代え難い原動力となって自身の活動の支えになっているのだ、という。偶然にも、横浜アリーナでのその時のライヴに私も居合わせていた。それは確かに、言葉では言い表せないほど熱く心地よい気持ちの波が渦巻く空間だった。

 また、1996年早春のこと。阪神淡路大震災の被災者を励ますために、彼女が参加した神戸生田神社での節分の豆まきに、担当していた大阪のラジオ番組の取材で出向いた私は、この目で見た。あまりの数のファンが自分の励ましを求めて押し寄せたのに接したシンディが、その場に立てなくなるほど感動に胸を詰まらせていたのを。直後の会見で、辛苦に立ち向かう人々に役立てる喜びを語っていたのも、実に印象的だった。
 以来、彼女に対して抱き続けている好意と信頼が揺らぐことはない。
(矢口清治)


【関連サイト】
CYNDI LAUPER
CYNDI LAUPER(動画「Time After Time」)
CYNDI LAIPER(動画「She Bop」)
CYNDI LAUPER(動画「The Goonies 'R' Good Enough」)
『シーズ・ソー・アンユージュアル』収録曲
01. マネー・チェンジズ・エヴリシング/02. ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン/03. ホエン・ユー・ワー・マイン/04. タイム・アフター・タイム/05. シー・バップ/06. オール・スルー・ザ・ナイト/07. ウィットネス/08. アイル・キス・ユー/09. ヒーズ・ソー・アンユージュアル/10. イェー、イェー

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