音楽 POP/ROCK

ジョイ・ディヴィジョン 『クローサー』

2012.02.16
ジョイ・ディヴィジョン
『クローサー』
1980年作品

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 圧倒的な孤独。圧倒的な絶望と哀しみ。そしてどこまでも深く冷たい闇。それがこんなにも美しく響く。『クローサー』を聴くのは、落ちるだけ落ちたい時だ、という人は少なくない。「いま抱えているこの1日より先を覗いてみたが、そこにあるのは〈無〉だけ」と、「24アワーズ」でイアン・カーティスが呻くように歌う時、彼の心には何が去来していたのか。僅か4年足らずの活動期間の後、ヴォーカリストの自殺による解散ーーそんな悲劇と伝説に彩られたジョイ・ディヴィジョンの、正式なスタジオ・アルバムとしては、2作目にしてラストであるこの『クローサー』。ここで彼らが築いた孤高の世界、そしてそこに至る軌跡とはいかなるものだったのだろうか。

 1976年を起点に、英国全土を揺るがす一大革命となった、UKパンク。その発火点のセックス・ピストルズが、英北西部の都市マンチェスターで初ライヴを行ったのは、同年6月のことだった。この街にパンクが上陸したその夜を、或は直後の2度目のギグを目撃し、衝撃を受け、「自分も何かを始めなければ」と触発された地元アーティスト(そして人生を変えられた人々)には、その公演を主催したバズコックス、やがてザ・スミスを結成するモリッシー、80年代〜90年代初頭の英インディ界を代表するレーベル〈ファクトリー〉を設立したトニー・ウィルソン、そして即座にバンド結成を決意したバーナード・サムナー(G)とピーター・フック(B)の2人がいた。

 同じ志を持ったイアン(Vo)と活動を始めた2人は、デヴィッド・ボウイの当時の最新作『ロウ』の収録曲にヒントを得て、〈ウォルソー〉(ワルシャワの英語読み)とバンドを命名する。ドラマーの交代を繰り返しながら、ガレージ・パンク調のデモ制作を重ねていた彼らに、スティーヴン・モリス(Dr)が加わり、不動のラインナップがここに揃った。1977年末頃、類似名のバンドとの混同を避けるため、ジョイ・ディヴィジョンと改名。〈悦楽局〉を意味するこの語は、第2次世界大戦中の強制収容所内にあった、ナチス・ドイツの将校のための、性的な慰安所のこと。彼らはそれを批判的な意図で用いたが、一時メディアから「ナチ擁護?」と誤解され、攻撃を受けたこともあった。

 荒削りなバンド・サウンドを出発点にしていた彼らだったが、あらゆる意味でパンクが壁に突き当たった1978年になると、試行錯誤しながら自らの個性を模索するように。そして、パンク・ロックでは禁忌とも考えられていたテクノロジーに接近。クラウト・ロック/ジャーマン・テクノの影響も取り入れ、シンセサイザーの効果的な導入に成功する。〈ファクトリー〉を契約して発表した1stアルバム『アンノウン・プレジャーズ』は、パンク・ルーツの切迫感を全編に漂わせながらも、ささくれ立つギターと、不気味で虚ろに響くエレクトロニックな音とで、歌詞が描く荒涼とした精神世界を表現。ポスト・パンク〜ニュー・ウェイヴの夜明けを担う先鋭的な存在として、彼らは新たな道を切りひらいてゆく。

 高い評価を受けたこのデビュー作以降、過密なライヴ日程が組まれていったが、この頃より、イアンの健康状態が懸念され始めた。ステージで激しく点滅するストロボ照明によって、彼の持病である癲癇が悪化し、度々ライヴ中に発作を起こすようになったのである。にもかかわらず、彼らは大々的な全英ツアー、そして欧州ツアーへと駆り出されていった。多忙なスケジュール、健康の不安、また既婚者であったイアンが別の女性と出会い、妻との間で板挟みになったこと、それら全てが重なって、次第に彼の心は深く蝕まれていく。
 1980年3月に『クローサー』のレコーディングを完了。そして4月のロンドン公演中、イアンはステージ上で癲癇の激しい発作に襲われ、その直後には薬物の過剰摂取で倒れた。自殺未遂とも、彼の〈助けを求める心の叫び〉ともとれる。音楽業界から足を洗うことすら考えていた彼だったが、タイトなスケジュールがそれを許さず、倒れた2日後にもまたライヴをこなさなければならなかった。

 全米ツアーを2日後に控えた5月18日、妻が発見したのは変わり果てた夫の姿であった。追いつめられた主人公が命を断つ映画『シュトロツェクの不思議な旅』を観て、イギー・ポップの曲を聴いた後、台所で首を吊ったのである。享年23。

 その約2ヶ月後に『クローサー』はリリースされた。孤独、絶望、哀しみ、機能不全な愛、失われた信頼ーーイアンの苦悩と魂の慟哭をそのまま映した歌詞は、凍えた情念の滲む歌声に乗せられ、ひたすら強く胸を刺す。前作に較べ、ギターよりキーボード/シンセの比重が高くなった音作りにより、果てしのない虚無的な空間を強調。呪術的な反復を繰り返すリズム・パターン。時には暴力的なほど躍動する、太いベース・ライン。閉塞的な緊張感が全体を押し包み、聴き手もまた、心の闇の深淵へと、その身を浸すことになるのだ。また、ファクトリーのグラフィック・デザイナー、鬼才ピーター・サヴィルが手掛けたジャケットは、彼らの音世界をそのまま視覚化したように、暗鬱かつ耽美的で、荘厳だ。イタリアの墓地にある彫刻の写真をモチーフにしたこのジャケットは、イアンの死を悼むかのようだが、偶然か必然か、彼が亡くなる前に決定していたものである。
 なお、イアンの死後、残された3人はバンド名をニュー・オーダーと変えて再出発。バーナードをVoに、新メンバーを加えた彼らは、イアンの死を知らされた日のことを題材にした曲「ブルー・マンデー」をきっかけに世界的な成功を収めている。

 現シーンでも、無数のバンドが『クローサー』を、そしてジョイ・ディヴィジョンを霊感の源として挙げる。イアン・カーティスは決して神話の中に祀り上げられた存在ではない。葛藤に悶える一人の生身の人間だったことが、本作を聴けば分かるはずだ。だが、救われなかった一人の男の、誰とも共有できなかった絶望に、数々の人が共感し、それが希望に繋がるならば、それこそが哀しく痛く美しいアートとしてのこの音楽作品の大きな存在意義の1つなのかもしれない。これは、拭えない寂寞たる孤立感(アイソレイション)を胸のどこかに抱えた者によって、永遠に再発見され続けるべき1枚なのである。
(今井スミ)


【関連サイト】
ジョイ・ディヴィジョン
ジョイ・ディヴィジョン(CD)
『クローサー』収録曲
01. アトロシティ・エクシビション/02. アイソレイション/03. パスオーヴァー/04. コロニー/05. エイ・ミーンズ・トゥ・アン・エンド/06. ハート・アンド・ソウル/07. 24アワーズ/08. ジ・エターナル/09. ディケイズ

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