音楽 POP/ROCK

シガー・ロス 『アゲイティス・ビリュン』

2013.09.28
シガー・ロス
『アゲイティス・ビリュン』
1999年作品


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 フランスのフェニックスやスウェーデンのザ・ナイフといった面々の活躍で、近年のオルタナティヴ・ロック界は随分コスモポリタンな場所になった。とはいえ、彼らはフランス語やスウェーデン語で歌っているわけじゃない。歌詞はもちろん英語。英語以外の言語で歌うアーティストが世界的に広く受け入れられることなど、あの「恋のマカレナ」のようにシングル曲単位で一過的ヒットを博すケースを除けば、まずない。だからアイスランド語で(かつ、時には勝手に作り上げた言葉で)歌うシガー・ロスが、今や英米チャートのトップ10に入り、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンや日本武道館を売り切るまでに成長したことは異例中の異例と呼べる珍事だ。

 全ての始まりは、このアイスランディック・バンドの世界デビュー作にあたる、2ndアルバム『アゲイティス・ビリュン』だった。地元で1999年夏に登場してから国内チャートの首位を8週間独走し、翌年以降ヨーロッパ各地、アメリカ、日本......と順次リリースされた先々で大反響を呼んだことは、ご承知の通り。タイトルが意味する「良き始まり」という予言が的中したようで、そこに広がっていたミステリアスな音楽は、触れた者全てを未知の世界に運んでくれたものだ。チェロの弦で鳴らされる独特の深い音色のギター、オルガン、ストリングス、ホーン、抑えたテクスチュアをブラシで描くドラム、正体不明のたくさんのノイズ、そして、フロントマンのヨンシーのアンドロジナスな超然ヴォーカル......。シガー・ロス節のプロトタイプと呼べる「スヴェン・ギー・エングラー」(いまもライヴのハイライトだ)が好例で、核にあるのはシンプルな4人編成のアンサンブルなのだが、彼らは気分が赴くままに多彩な材料を用いて、大きなキャンバスいっぱいに途方もないスケールの荘厳なサウンドスケープを描き上げる。アイスランド語の歌詞はマイナス要素になるどころか、優美でメランコリックなメロディに導かれて本作にさらなる神秘性を与え、10曲で72分、聴き終える頃には思わずフーっと息を吐かずにはいられなかった。音楽に明け渡した頭と心が、現実に引き戻されることに抵抗しているかのようにーー。

 思えば、レディオヘッドが同じ頃に『キッドA』(2000年)でアブストラクトな志向に向かっていたこと、或いは、ポストロックがちょっとしたブームになっていたことも、シガー・ロスが広く受け入れられる土壌を作り出した可能性もある。が、それにしても、これは果たしてポストロック/音響派? アンビエント? ドリーム・ポップ? クラシック? いいや、どれでもない。こんな音楽、誰も鳴らしたことはなかったのだ。

 じゃあシガー・ロスの音楽はいったいどこから生まれるのかと、みんなが知りたがった。そもそもアーティストの影響源を探るのは決して難しくない。「なるほど、これとこれを聴いて育ったんだな」と分析できてしまうものなのだが、シガー・ロスの場合は不可解極まりなかった(少年時代の彼らが大のヘヴィ・メタル好きだったと誰が想像できたろう?)。それゆえに、アイスランドの風土や自然環境に結び付けて語られることが多かったものの、本人たちはその説を断固否定していたっけ。もしバンドの出自が音楽性に関係しているとしたら、地理的にポップ・ミュージックの中心地から切り離されているためトレンドの影響を受けず、独自のペースで活動できるという点のみ。作品は浮世離れしていても、アプローチは地道な正攻法。大仰なコンセプトを掲げたり、山や海の神と交信(!)する必要もなく、先入観を持たずにひたすらジャムすることで形作られるというのが、彼らの説明だった。つまり、あくまで自分たち自身の内から生まれるもので、全員の波長が一致した時に音楽が姿を現すのだーーと。実際、幾度か取材する機会を得て分かったが、メンバーはいわゆるフシギ君集団では全くなく、しっかり地に足がついたかなり愉快な連中で、そこが逆に面白かったりもする。

 そんな彼らは、レディオヘッドのヨーロッパ・ツアーの前座を務めたことでさらに知名度を上げ、本作は2000〜2001年の諸メディアの年間ベスト・アルバム選にランクインし、最終的に100万枚以上のセールスを記録。ただ、バンドが目指していたのはそういう種類の成功じゃなかった。当時の公式ウェブサイトに記されていたのは、次のようなマニフェスト。「僕らはスーパースターにも百万長者にもなりたくない。でも音楽を永遠に変えて、音楽に対する人々の考え方を変えてやるんだ」ーーおそらく若気の至りで綴ったんだろうが、シガー・ロスは結果的に、2作目にしてあっさりそれを成し遂げてしまったのかもしれない。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Sigur Rós
『アゲイティス・ビリュン』収録曲
01. イントロ/02. スヴェン・ギー・エングラー/03. スタラルファー/04. フルーガフェールサリン/05. ヌイ・バッテリー/06. ヒャーテェズ・ハマスト(バム・バム・バム)/07. ヴィザール・ヴェル・ティル・ロフタラサ/08. オルセン・オルセン/09. アゲイティス・ビリュン/10. アヴァロン

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