音楽 POP/ROCK

ジョン・コルトレーン『ブルー・トレイン』

2011.04.23
john coltrane blue
ジョン・コルトレーン
『ブルー・トレイン』

1957年録音

 金色に輝くテナー・サックスをスラリと構え、音域のギリギリの限りを縦横無尽に駆け巡り、暴れ馬のような野趣に溢れたトーンを心底優雅に乗りこなしてみせたプレイヤー、それがジョン・コルトレーンだ。彼の息遣いから生まれた全ての音は、今なお人々を虜にして止まない。楽器屋の店先でウィンドウにピッタリ貼り付き、店員に鬱陶しがられながらも、物欲しげにテナー・サックスを見つめる少年少女や成人男女の頭をパックリ割ってみたら、中でジャンジャン鳴っているのは、おそらくかなりの確率でジョン・コルトレーン。セルマーのケースを肩にかけ、街を颯爽と闊歩するジャズ・マンも、例えば「ジャイアント・ステップス」を様々なキーで吹いてみたりして、熱心に練習に励んだ日々があったはずだ。ジャズ・マンに憧れることは出来てもどう逆立ちしてもなれっこない人間、例えばこの僕は、レコード屋で『ソウルトレーン』の白と緑のジャケットを見かけたら、すでに愛聴盤なのに、どういうわけかもう1枚買いたくなってくるし、〈発掘!〉とかいう謳い文句でライヴ音源が出たら、条件反射で鷲掴みにしてレジに直行してしまう。美しい音色とメロディの宝庫である『バラード』や『マイ・フェイヴァリット・シングス』に静かに胸躍らせた夜は無数で、『ジャイアント・ステップス』や『至上の愛』を大音量でかけながらクラクラ呑み込まれていく体験は、何度だって欲しくて堪らない。そして。『ブルー・トレイン』のない人生なんて闇に等しいと、本気で思っているのであった。

 ブルーノートからリリースされた、唯一のリーダー作である『ブルー・トレイン』は、1957年9月15日に録音された。本作の背景を語るには、まずはここに至るまでの足跡を簡単に説明した方が良いだろうーージョン・ウィリアム・コルトレーン、1926年9月23日ノースカロライナ州生まれ。幼い頃からクラリネットやアルト・サックスに親しんだ彼は、ハイスクール卒業後も腕を磨き続け、フィラデルフィアのシーンで少しずつ頭角を現わしていった。やがて、ディジー・ガレスピーやジョニー・ホッジズのバンドに参加するなど、出世のチャンスを何度か掴む。だが、アルコールとドラッグが災いして、退団ばかりを繰り返していた。1955年、ドラッグ中毒で療養中だったソニー・ロリンズに代わり、マイルス・デイヴィス・クインテットのテナー・サックス奏者となり、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』などのレコーディングに参加。この大抜擢で遂に成功を手にしたかと思いきや、評判はあまり良くなく、デイヴィスが渡欧を機にバンドを解散してからは、またしばらく宙ブラリンになった。1957年、コルトレーンはアルコールとドラッグを断つようになり、心身共に生まれ変わったが、帰国したデイヴィスは、彼ではなくロリンズをバンドに誘って大ショック。しかし、この年は初のリーダー作『コルトレーン』を皮切りに、自身の作品のレコーディングが立て続けに行われ、大きな転機となる。まさにその飛翔の瞬間が刻まれたのが『ブルー・トレイン』であった。

 ところで、みなさん、すでに気づいているとは思うが、56年頃以前のコルトレーンは、アルコール、そして特にドラッグの問題を抱えていた。実はこのことが『ブルー・トレイン』と非常に関係がある。なんとコルトレーンは中毒のピーク時、ドラッグ代を捻出するために、「作品をリリースする」という条件でブルーノートから多少の前金を受け取っていたのだ。その後、レコーディングは全く行われず、ブルーノートもその話を特に持ち出すこともなく、結局彼はプレスティッジと正式なレコーディング契約を結ぶ。だが、元来折り目正しく恩義に篤かった彼は「プレスティッジとは別に、ブルーノートでも1枚レコードを出させて欲しい」という条件を飲んでもらっていた。つまり、その"1枚"こそが『ブルー・トレイン』なのだ!......いちおうエクスクラメーション・マークを付けてみたが、トホホで歯切れが悪いエピソードなのは困ったものだ。しかし、そんな背景を遥かに超越して、『ブルー・トレイン』は夢のような音を届けてくれる。

 幕開けを飾る「ブルー・トレイン」は、トランペット、トロンボーン、テナー・サックスのドラマチックな揃い踏みが、やがて分散し、次々と切れ味の良いプレイが披露されて行く。アンサンブル全体にはピリリと凛々しい緊張感が漲り、と同時に5人全員が笑みをこぼさんばかりの様子も伝わってくるのが不思議なところだ。そして、「モーメンツ・ノーティス」の響きの何と自由なことか。怒濤のフレーズの連なりの果てに、クサイ言い方にはなってしまうが、コルトレーンは世界中の何処へだろうが飛んで行けそうな翼を手に入れている。〈自由の境地とは?〉とか、何だか厄介な質問を受けたら、黙って示すべきは、この曲なのかもしれない。後半に入ると、まずは「ロコモーション」が、荒野を裂く群盗のような力強いギャロップを轟かせ、男性的な勇姿を骨太なタッチで映し出す。続いて、本作中唯一の非オリジナルである「アイム・オールド・ファッションド」。これはとことん甘くてロマンチックだ。後の『バラード』で鮮やかに示されることとなる抒情性と歌心の源流を感じることが出来る。そして、本作のラストを飾るのは「レイジー・バード」。起伏に富んだ展開の中でオーガニックなグルーヴを艶かしくうねらせ、至福の瞬間の積み重ねの果てに、無上のクライマックスへと溶けてゆく。

 名盤と呼ぶに値する理由が『ブルー・トレイン』には果てしなく宿っている。ジャケットにプリントされた青味がかったコルトレーンとテナー・サックスのネックと向き合う度に、特別なトキメキを感じずにはいられない。この魔力に取り付かれた人は、これまで全世界で何百万人いたのだろう? 突き動かされた果てに待っているのは往々にして、〈ワタシもこんな風に吹いてみたい!〉という、第三者から見たら失笑ものの儚い野望だ。で、そんなことを偉そうに語っている僕はと言えば......いい歳こいてサックス教室に通い始めたりしている。うわっ、こんなとこで書いちゃって、すっげえ恥ずかしい。「茶色の小びん」にせっせと取り組んだりしている状況で、コルトレーンの曲なんて吹ける日が来るのか、かなり怪しいもんだとは思うが、それはみなさんの知ったことではない。
(田中 大)

【関連サイト】
ジョン・コルトレーン『ブルー・トレイン』
『ブルー・トレイン』収録曲
01. ブルー・トレイン/02. モーメンツ・ノーティス/03. ロコモーション /04. アイム・オールド・ファッションド/05. レイジー・バード

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