ジョージ・マイケル 『オールダー』
2017.03.26
ジョージ・マイケル
『オールダー』
1996年作品
その悲しみの理由は、最愛の恋人アンセルモ・フェレッパの死だった。ワム!解散後のジョージは、1987年にアルバム『フェイス』でソロ・デビューしてグループ時代以上の成功を収め、セカンド『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスVol.1』(1990年)でシンガー・ソングライターとしての評価を確立。順風満帆なキャリアを歩んでいた。しかし、6年の空白を経て届いた30代最初のアルバム『オールダー』の彼は、王道ポップスター然としていた前作でのジョージとはまるで別人だった。結果的には世界で800万枚を売り、6曲のシングルが全英トップ3入りするメガヒット作になるものの、本作は、モノクロで統一されたジャケットに象徴される沈痛なダークネスを湛え、曲は全てマイナー・コード。ボサノヴァとジャズを主軸に、抑制をきかせた優美なオーガニック・サウンドでまとめ上げた、まさに服喪のアルバムだったのだ。
当時はまだ同性愛者であることを公表していなかったため、詳しい事情を我々が知ったのはさらに数年後になるのだが、ジョージが自分の〈トゥルー・ラヴ〉と呼んで憚らなかったアンセルモと出会ったのは、1991年のツアーでブラジルを訪れた時。それから半年も経たないうちにHIVポジティヴであることが判明し、1993年春に脳出血で亡くなってしまう。以来2年近く、悲しみのあまり音楽を作る気力を失っていた彼だが、最終的に重い腰を上げるモチベーションを与えたのもアンセルモであり、まず最初に生まれた曲が、先行シングルでありアルバムの冒頭を飾る「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」(同1位)。〈キリストが子供に微笑みかけるように〉自分を見つめてくれた恋人を悼み、永遠の愛を誓って、今でも辛い時にはそばにいてくれるのだと歌う、7分に及ぶ曲だ。ラヴソングというより讃美歌のような崇高さに包まれたこの曲は、同時に、『オールダー』の主要な音楽的インスピレーションを予告してもいた。そう、1994年に死去したアントニオ・カルロス・ジョビンである。
実際アルバムのブックレットの隅っこには、「僕の音楽の捉え方を変えた」ジョビンと、「僕の人生観を変えた」アンセルモ、ふたりのブラジル人への献辞が添えられている。つまり彼は、ブラジル人の恋人を、ブラジルの音で弔っていたのである。中でもそのジョビンの影響を強く感じさせる「ザ・ストレンジスト・シング」や「トウ・ビー・フォギヴン」では悲嘆の淵から救いを求め、「イット・ダズント・リアリー・マター」では茫然自失の状態にあるジョージの無防備さは、今聴いても衝撃的だ。真剣な恋愛など今は考えられないけど、一瞬でも喪失感を埋められたらとその場限りの快楽を求める、「ファストラヴ」の彼も然り。アウトロで繰り返される〈アイ・ミス・マイ・ベイビー〉というフレーズがあまりにも切ない。かと思えば、トリップホップ調の「スピニング・ザ・ウィール」(全英最高2位)ではエイズ禍を背景に、遊び人の恋人を思って不安に震える男のストーリーを伝える。今でこそ、HIVポジティヴでも治療を続ければ発症を抑えて長く生きられるわけだが、1990年代初めはまだまだ多くのゲイ男性が命を落としていたことが思い出される。
そんなアルバムにも、8曲目の「ムーヴ・オン」に至ってようやく光が差す。ジャズとモータウン・ソウルが交錯するこの曲は、泣き暮らした日々を振り返りつつ、人生を無駄にしてはいけないと自分に言い聞かせているのだが、小さなクラブでのパフォーマンスを装って人々のざわめきを織り交ぜ、歌い終えたジョージが拍手を浴びるーーという演出も粋だ。続く「ユー・ハヴ・ビーン・ラヴド」(同2位)は実際に交わされた会話に根差しているのか、アンセルモの死後も親しくしていたという彼の母親と一緒に、愛と喪失感に向き合う。そして〈自分は誰かに愛されたのだ〉という最後のフレーズで初めてメジャー・コードに転じ、これまたトリップホップ調のインスト曲「フリー」でフィナーレを迎え、〈自由って素晴らしい〉と呟いて本作を締め括るのだ。言葉とは裏腹に、重い荷を背負っているかのように、ほとんど聞きとれないくらいの声で。普通の人の数倍濃密な人生を歩んできた彼はこれらの曲で、恋人だけでなく、もはや取り戻せない自分のイノセンスを弔っていたのかもしれない。
果たして1996年の時点で彼がカムアウトして事情を明かしていたら、アルバムの受け止められ方は違ったのだろうか? すでに色んな噂は流れていたし(あとから思えばキリストに恋人をなぞらえていたことも大きなヒントだった)、大胆にイメチェンした上に、エイズ関連のチャリティにも積極的に関与していた。フレディ・マーキュリーのトリビュート・コンサートでの「愛にすべてを」の伝説的パフォーマンスを披露したのも1992年。そういったヒントが充分ではなかったにしても、アメリカのプレスの当時の評を読み返すと、「なんでこんなに暗いわけ?」と手厳しく批判するものが目立ち、ちょっと驚かされる。セールスもダウンし、ポップじゃない〈オールダー〉なジョージはアメリカでは理解されなかったのだ。一方ヨーロッパでの人気はアップしたくらいだから、美的価値観の差が表れたのかもしれないが、事情を知らなくても、何らかのトラウマティックな悲劇と向き合う生身の人間としての彼をさらけ出した、美しく勇気あるアルバムであることに変わりはない。その後、性的マイノリティの権利拡大運動に情熱を傾けたジョージとこのアルバムの名誉回復に、アデルの歌が幾らか寄与したのではないかと願うばかりだ。
【関連サイト】
GEORGE MICHAEL
GEORGE MICHAEL 『OLDER』
『オールダー』
1996年作品
2017年2月に開催された第59回グラミー賞で、かねてから注目を集めていたジョージ・マイケルのトリビュート・パフォーマンスに起用されたのは、ほかでもなく、この夜の主役となるアデルだった。歌ったのは「ファストラヴ」。1996年に発表したサード『オールダー』(全英最高1位)からの、2曲目の全英ナンバーワン・シングルである。途中で自らミスを認めて、改めて歌い直すという勇気ある決断もさることながら(「彼のために失敗は許されないから」という言葉がジョージへの畏敬の念を雄弁に物語っていた)、彼女の選曲とアレンジにも「さすが!」とうならせるものがあった。洒脱な4つ打ちの原曲を思い切りスローダウンし、ビートを排除して、ピアノと弦楽器の伴奏で聴かせることでアデルは、享楽的な印象を与えかねない曲に潜む例えようもない悲しみをあぶり出していたと思うのだ。
その悲しみの理由は、最愛の恋人アンセルモ・フェレッパの死だった。ワム!解散後のジョージは、1987年にアルバム『フェイス』でソロ・デビューしてグループ時代以上の成功を収め、セカンド『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスVol.1』(1990年)でシンガー・ソングライターとしての評価を確立。順風満帆なキャリアを歩んでいた。しかし、6年の空白を経て届いた30代最初のアルバム『オールダー』の彼は、王道ポップスター然としていた前作でのジョージとはまるで別人だった。結果的には世界で800万枚を売り、6曲のシングルが全英トップ3入りするメガヒット作になるものの、本作は、モノクロで統一されたジャケットに象徴される沈痛なダークネスを湛え、曲は全てマイナー・コード。ボサノヴァとジャズを主軸に、抑制をきかせた優美なオーガニック・サウンドでまとめ上げた、まさに服喪のアルバムだったのだ。
当時はまだ同性愛者であることを公表していなかったため、詳しい事情を我々が知ったのはさらに数年後になるのだが、ジョージが自分の〈トゥルー・ラヴ〉と呼んで憚らなかったアンセルモと出会ったのは、1991年のツアーでブラジルを訪れた時。それから半年も経たないうちにHIVポジティヴであることが判明し、1993年春に脳出血で亡くなってしまう。以来2年近く、悲しみのあまり音楽を作る気力を失っていた彼だが、最終的に重い腰を上げるモチベーションを与えたのもアンセルモであり、まず最初に生まれた曲が、先行シングルでありアルバムの冒頭を飾る「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」(同1位)。〈キリストが子供に微笑みかけるように〉自分を見つめてくれた恋人を悼み、永遠の愛を誓って、今でも辛い時にはそばにいてくれるのだと歌う、7分に及ぶ曲だ。ラヴソングというより讃美歌のような崇高さに包まれたこの曲は、同時に、『オールダー』の主要な音楽的インスピレーションを予告してもいた。そう、1994年に死去したアントニオ・カルロス・ジョビンである。
実際アルバムのブックレットの隅っこには、「僕の音楽の捉え方を変えた」ジョビンと、「僕の人生観を変えた」アンセルモ、ふたりのブラジル人への献辞が添えられている。つまり彼は、ブラジル人の恋人を、ブラジルの音で弔っていたのである。中でもそのジョビンの影響を強く感じさせる「ザ・ストレンジスト・シング」や「トウ・ビー・フォギヴン」では悲嘆の淵から救いを求め、「イット・ダズント・リアリー・マター」では茫然自失の状態にあるジョージの無防備さは、今聴いても衝撃的だ。真剣な恋愛など今は考えられないけど、一瞬でも喪失感を埋められたらとその場限りの快楽を求める、「ファストラヴ」の彼も然り。アウトロで繰り返される〈アイ・ミス・マイ・ベイビー〉というフレーズがあまりにも切ない。かと思えば、トリップホップ調の「スピニング・ザ・ウィール」(全英最高2位)ではエイズ禍を背景に、遊び人の恋人を思って不安に震える男のストーリーを伝える。今でこそ、HIVポジティヴでも治療を続ければ発症を抑えて長く生きられるわけだが、1990年代初めはまだまだ多くのゲイ男性が命を落としていたことが思い出される。
そんなアルバムにも、8曲目の「ムーヴ・オン」に至ってようやく光が差す。ジャズとモータウン・ソウルが交錯するこの曲は、泣き暮らした日々を振り返りつつ、人生を無駄にしてはいけないと自分に言い聞かせているのだが、小さなクラブでのパフォーマンスを装って人々のざわめきを織り交ぜ、歌い終えたジョージが拍手を浴びるーーという演出も粋だ。続く「ユー・ハヴ・ビーン・ラヴド」(同2位)は実際に交わされた会話に根差しているのか、アンセルモの死後も親しくしていたという彼の母親と一緒に、愛と喪失感に向き合う。そして〈自分は誰かに愛されたのだ〉という最後のフレーズで初めてメジャー・コードに転じ、これまたトリップホップ調のインスト曲「フリー」でフィナーレを迎え、〈自由って素晴らしい〉と呟いて本作を締め括るのだ。言葉とは裏腹に、重い荷を背負っているかのように、ほとんど聞きとれないくらいの声で。普通の人の数倍濃密な人生を歩んできた彼はこれらの曲で、恋人だけでなく、もはや取り戻せない自分のイノセンスを弔っていたのかもしれない。
果たして1996年の時点で彼がカムアウトして事情を明かしていたら、アルバムの受け止められ方は違ったのだろうか? すでに色んな噂は流れていたし(あとから思えばキリストに恋人をなぞらえていたことも大きなヒントだった)、大胆にイメチェンした上に、エイズ関連のチャリティにも積極的に関与していた。フレディ・マーキュリーのトリビュート・コンサートでの「愛にすべてを」の伝説的パフォーマンスを披露したのも1992年。そういったヒントが充分ではなかったにしても、アメリカのプレスの当時の評を読み返すと、「なんでこんなに暗いわけ?」と手厳しく批判するものが目立ち、ちょっと驚かされる。セールスもダウンし、ポップじゃない〈オールダー〉なジョージはアメリカでは理解されなかったのだ。一方ヨーロッパでの人気はアップしたくらいだから、美的価値観の差が表れたのかもしれないが、事情を知らなくても、何らかのトラウマティックな悲劇と向き合う生身の人間としての彼をさらけ出した、美しく勇気あるアルバムであることに変わりはない。その後、性的マイノリティの権利拡大運動に情熱を傾けたジョージとこのアルバムの名誉回復に、アデルの歌が幾らか寄与したのではないかと願うばかりだ。
(新谷洋子)
【関連サイト】
GEORGE MICHAEL
GEORGE MICHAEL 『OLDER』
『オールダー』収録曲
01. ジーザス・トゥ・ア・チャイルド/02. ファストラヴ/03. オールダー/04. スピニング・ザ・ウィール/05. イット・ダズント・リアリー・マター/06. ザ・ストレンジスト・シング/07. トゥ・ビー・フォギヴン/08. ムーヴ・オン/09. スター・ピープル/10. ユー・ハヴ・ビーン・ラヴド/11. フリー
01. ジーザス・トゥ・ア・チャイルド/02. ファストラヴ/03. オールダー/04. スピニング・ザ・ウィール/05. イット・ダズント・リアリー・マター/06. ザ・ストレンジスト・シング/07. トゥ・ビー・フォギヴン/08. ムーヴ・オン/09. スター・ピープル/10. ユー・ハヴ・ビーン・ラヴド/11. フリー
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