イアン・デューリー 『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』
2018.05.19
イアン・デューリー
『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』
1977年作品
ロンドンのイーストエンドと言えば、近年はトレンディなエリアとして有名だ。再開発が進んで洒落た店が並び、ファッショナブルな若者たちが行き交っていて、100年ちょっと前にジャック・ザ・リッパーが闊歩した、貧しくて猥雑な下町の面影は消えつつある。そんなヴィクトリア時代のイーストエンドを知るには、チャールズ・ディケンズの小説なんかを読むのが手っ取り早いのかもしれないけど、もう少し最近の、同様に貧しくて猥雑なイーストエンドの様子も、1枚の音楽作品に記録されている。これまた〈文学〉と区分けしても不思議じゃない、地名やスラングをたっぷり盛り込んで作られた、故イアン・デューリーのソロ・デビュー・アルバム『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』(全英チャート最高5位)だ。
強烈なコックニー訛りで歌うイアンがロンドン北西のハロウで生まれたのは、ロンドン大空襲の翌年にあたる1942年のこと。その後、子供時代をイーストエンドとその延長にあるエセックス周辺で過ごし、本作に収められた10曲を綴った時はロンドン南部で暮らしていたそうだが、イーストエンドへの思い入れは強い。それはもしかしたら、幼い頃にポリオに罹って障害者として生きてきた人ゆえに、多くの移民を含むイーストエンダーたちの、逞しさやエネルギーに惹かれたからなのかもしれない。ただここに辿り着くまでには長い年月を要し、この傑作が生まれた時には、彼は35歳になっていた。というのも、音楽だけでなくヴィジュアル・アートにも情熱を抱いて名門の王立美術大学で学んだイアンは、卒業後は美術学校で教鞭をとりつつイラストレーターとしても活躍。その傍らで、キルバーン・アンド・ザ・ハイ・ローズを1970年に結成している。
ドクター・フィールグッドらとパブロックのシーンを騒がせたキルバーン〜は、2枚のアルバムを発表した時点で活動に行き詰まり、彼は敏腕の鍵盤奏者のチャズ・ジャンケルと新たに曲作りをスタート。当時すでに結婚して二人の子供がいたのだが、ちょうどこれと同じ頃に若いファンの女性に熱を上げて、家族を郊外に残し、ロンドンでのロックンロール人生に身を投じるのだ。1977年夏に、ニック・ロウやザ・ダムドが所属するStiffレーベルから登場したソロ・デビュー・シングルのタイトルも、ずばり「Sex & Drugs & Rock & Roll」(アルバム未収録)。続いて本作が秋にお目見えする。
ご存知のように1977年と言えば、パンク全盛期。イアンも一般的にパンクの枠に括られている。でも、のちにバックバンドのザ・ブロックヘッズの核を成す3人のミュージシャンーーチャズ、ドラマーのチャーリー・チャールズ、ベーシストのノーマン・ワット・ロイーーと、キルバーン〜のメンバーだったデイヴィー・ペイン(サックス)及びエド・スペイト(ギター)を交えて録音した本作から聴こえてくる音は、ちっともパンクロックぽくない。それは、ジャズにR&Bにディスコ、古典的ロックンロール、はたまたミュージック・ホールの要素を消化した、ファンキーなミクスチュア。その怪しげで雑然とした佇まいが、半ば喋るようなダミ声で聴かせる、ユーモラスでダーティーで一切フィルター無しに綴られた物語の数々に、見事にマッチしている。
そう、1曲目が提示するのはオープニングに相応しく朝の情景だけど、舞台はベッドルーム。ほかにもエロ系のネタは少なくないのだが、やっぱり光っているのは、イーストエンドのディケンジアンなキャラクターたちを、巧みな言葉捌きでイキイキと描いた曲の数々だ。エセックスのビレルキー出身のレンガ職人ディッキーが、女性を巡る武勇伝を披露する「Billericay Dickie」然り、少々頭が弱いゆえにいじめられる男トレヴァーが主人公の「Clevor Trevor」(敢えて「clever=賢い」ではなく「clevor」と綴っているのはそのためだ)然り、かつては娼婦だったと思われる女性パトリシアの人生を辿る「Plaistow Patricia」然り。そのパトリシアの体形をかなりグロテスクに表したりと、イアンの表現は往々にして辛辣だ。しかしその視線には愛情も感じられ、そこが、怒りを原動力とするパンク勢との違いなのかもしれない。「Blockheads」では泥酔して暴れる若者たちを叱責していながら、究極的には「実はみんなそういう部分があるよね」と結論付けているし、ラストの「Blackmail Man」ではアウトサイダーたちに共感を寄せて人種差別を糾弾していて、きっと情に厚い人だったのだろう。
また本作には、ふたつのトリビュート・ソングも収録されている。うち「Sweet Gene Vincent」はイアンが大好きだったジーン・ヴィンセントに宛てられ、サウンドもジーンのスタイルに倣ったもの。そして「My Old Man」は亡父に捧げられていて(「old man」は父親を意味する)、ロンドンでバスの運転手として働いたのちに金持ち相手の高級車のドライバーになった父の人生を歌っている。親子は長年疎遠だったらしいが、ここでもイアンは、視線だけでなく声にも温かな優しさを込めている。
その「My Old Man」を、2000年に癌で亡くなった彼の追悼コンサートで歌ったのは、ほかでもなくイアンの息子バクスターだった。本作のジャケットに一緒に写っている少年だ。当時5歳だった彼は父の跡を継いでシンガー・ソングライターを生業に選び、2017年、5枚目にあたる『Prince of Tears』を発表。やっぱり遅咲きで、30歳の時にデビューし、当初は父との差別化を意識したのか全く異なるスタイルを志向していたけど、ストーリーテリング術が際立つ近作にはイアンに重なる部分が多々ある。声もそっくりだし、DNAは侮れないのだ。
【関連サイト】
Ian Dury
Ian Dury 『New Boots and Panties!!』
『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』
1977年作品
ロンドンのイーストエンドと言えば、近年はトレンディなエリアとして有名だ。再開発が進んで洒落た店が並び、ファッショナブルな若者たちが行き交っていて、100年ちょっと前にジャック・ザ・リッパーが闊歩した、貧しくて猥雑な下町の面影は消えつつある。そんなヴィクトリア時代のイーストエンドを知るには、チャールズ・ディケンズの小説なんかを読むのが手っ取り早いのかもしれないけど、もう少し最近の、同様に貧しくて猥雑なイーストエンドの様子も、1枚の音楽作品に記録されている。これまた〈文学〉と区分けしても不思議じゃない、地名やスラングをたっぷり盛り込んで作られた、故イアン・デューリーのソロ・デビュー・アルバム『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』(全英チャート最高5位)だ。
強烈なコックニー訛りで歌うイアンがロンドン北西のハロウで生まれたのは、ロンドン大空襲の翌年にあたる1942年のこと。その後、子供時代をイーストエンドとその延長にあるエセックス周辺で過ごし、本作に収められた10曲を綴った時はロンドン南部で暮らしていたそうだが、イーストエンドへの思い入れは強い。それはもしかしたら、幼い頃にポリオに罹って障害者として生きてきた人ゆえに、多くの移民を含むイーストエンダーたちの、逞しさやエネルギーに惹かれたからなのかもしれない。ただここに辿り着くまでには長い年月を要し、この傑作が生まれた時には、彼は35歳になっていた。というのも、音楽だけでなくヴィジュアル・アートにも情熱を抱いて名門の王立美術大学で学んだイアンは、卒業後は美術学校で教鞭をとりつつイラストレーターとしても活躍。その傍らで、キルバーン・アンド・ザ・ハイ・ローズを1970年に結成している。
ドクター・フィールグッドらとパブロックのシーンを騒がせたキルバーン〜は、2枚のアルバムを発表した時点で活動に行き詰まり、彼は敏腕の鍵盤奏者のチャズ・ジャンケルと新たに曲作りをスタート。当時すでに結婚して二人の子供がいたのだが、ちょうどこれと同じ頃に若いファンの女性に熱を上げて、家族を郊外に残し、ロンドンでのロックンロール人生に身を投じるのだ。1977年夏に、ニック・ロウやザ・ダムドが所属するStiffレーベルから登場したソロ・デビュー・シングルのタイトルも、ずばり「Sex & Drugs & Rock & Roll」(アルバム未収録)。続いて本作が秋にお目見えする。
ご存知のように1977年と言えば、パンク全盛期。イアンも一般的にパンクの枠に括られている。でも、のちにバックバンドのザ・ブロックヘッズの核を成す3人のミュージシャンーーチャズ、ドラマーのチャーリー・チャールズ、ベーシストのノーマン・ワット・ロイーーと、キルバーン〜のメンバーだったデイヴィー・ペイン(サックス)及びエド・スペイト(ギター)を交えて録音した本作から聴こえてくる音は、ちっともパンクロックぽくない。それは、ジャズにR&Bにディスコ、古典的ロックンロール、はたまたミュージック・ホールの要素を消化した、ファンキーなミクスチュア。その怪しげで雑然とした佇まいが、半ば喋るようなダミ声で聴かせる、ユーモラスでダーティーで一切フィルター無しに綴られた物語の数々に、見事にマッチしている。
そう、1曲目が提示するのはオープニングに相応しく朝の情景だけど、舞台はベッドルーム。ほかにもエロ系のネタは少なくないのだが、やっぱり光っているのは、イーストエンドのディケンジアンなキャラクターたちを、巧みな言葉捌きでイキイキと描いた曲の数々だ。エセックスのビレルキー出身のレンガ職人ディッキーが、女性を巡る武勇伝を披露する「Billericay Dickie」然り、少々頭が弱いゆえにいじめられる男トレヴァーが主人公の「Clevor Trevor」(敢えて「clever=賢い」ではなく「clevor」と綴っているのはそのためだ)然り、かつては娼婦だったと思われる女性パトリシアの人生を辿る「Plaistow Patricia」然り。そのパトリシアの体形をかなりグロテスクに表したりと、イアンの表現は往々にして辛辣だ。しかしその視線には愛情も感じられ、そこが、怒りを原動力とするパンク勢との違いなのかもしれない。「Blockheads」では泥酔して暴れる若者たちを叱責していながら、究極的には「実はみんなそういう部分があるよね」と結論付けているし、ラストの「Blackmail Man」ではアウトサイダーたちに共感を寄せて人種差別を糾弾していて、きっと情に厚い人だったのだろう。
また本作には、ふたつのトリビュート・ソングも収録されている。うち「Sweet Gene Vincent」はイアンが大好きだったジーン・ヴィンセントに宛てられ、サウンドもジーンのスタイルに倣ったもの。そして「My Old Man」は亡父に捧げられていて(「old man」は父親を意味する)、ロンドンでバスの運転手として働いたのちに金持ち相手の高級車のドライバーになった父の人生を歌っている。親子は長年疎遠だったらしいが、ここでもイアンは、視線だけでなく声にも温かな優しさを込めている。
その「My Old Man」を、2000年に癌で亡くなった彼の追悼コンサートで歌ったのは、ほかでもなくイアンの息子バクスターだった。本作のジャケットに一緒に写っている少年だ。当時5歳だった彼は父の跡を継いでシンガー・ソングライターを生業に選び、2017年、5枚目にあたる『Prince of Tears』を発表。やっぱり遅咲きで、30歳の時にデビューし、当初は父との差別化を意識したのか全く異なるスタイルを志向していたけど、ストーリーテリング術が際立つ近作にはイアンに重なる部分が多々ある。声もそっくりだし、DNAは侮れないのだ。
(新谷洋子)
【関連サイト】
Ian Dury
Ian Dury 『New Boots and Panties!!』
『ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ!!』収録曲
01. Wake Up and Make Love with Me/02. Sweet Gene Vincent/03. I’m Partial to Your Abracadabra/04. My Old Man/05. Billericay Dickie/06. Clevor Trever/07. If I Was with a Woman/08. Blockheads/09. Plaistow Patricia/10. Blackmail Man
01. Wake Up and Make Love with Me/02. Sweet Gene Vincent/03. I’m Partial to Your Abracadabra/04. My Old Man/05. Billericay Dickie/06. Clevor Trever/07. If I Was with a Woman/08. Blockheads/09. Plaistow Patricia/10. Blackmail Man
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