ミリアム・マケバ 『パタ・パタ』
2024.09.28
ミリアム・マケバ
『パタ・パタ』1967年作品
2023年秋、55年間破られずにいた全米チャート上の記録のひとつが更新された。SUMMER SONIC 2024で初来日を果たした南アフリカ人のシンガー・ソングライター=タイラが、シングル「Water」でHOT100(=シングル・チャート)のトップ10入りを達成。アフリカ大陸出身の女性ソロ・アーティストとしては史上最高位となる。記録が半世紀以上更新されなかったという事実は、彼女たちにとって全米進出のハードルがいかに高いかを物語ってもいるわけだが、ここにきてようやく、タイラ以外にも同じ南ア人のムーンチャイルド・サネリー、或いはナイジェリア人のテムズ(彼女がゲスト参加したドレイクの曲「Fountain」は2021年に全米ナンバーワンを獲得している)やアイラ・スターといった女性の名前を、姿を、世界各地のチャートやメディアで見かけることも珍しくなくなった。その背景には言うまでもなく、瞬時に国境を越えて情報を運ぶSNSやストリーミングの影響もあるし、アフリカン・アーティストを多数フィーチャーした映画『ブラック・パンサー』シリーズのサントラのヒットも無関係ではないのだろう。こうした動きを受けて今年2月に開催された第66回グラミー賞では、最優秀グローバル・ミュージック・アルバム部門(旧ワールドミュージック部門)とは別個に最優秀アフリカン音楽パフォーマンス賞が創設され、こちらもタイラが初代ウィナーとなったことが記憶に新しい。
ならば、それまで55年にわたって記録を保持していたのは誰なのか? 本アルバム『Pata Pata』(1967年/全米チャート最高74位)のタイトルトラックで全米チャート最高12位を記録した、〈ママ・アフリカ〉の愛称でお馴染みの20世紀アフリカ音楽界のレジェンド、ミリアム・マケバだ。共にヨハネスブルグで生まれたミリアムとタイラだが、生きた時代は当然ながら、全く異なる。アパルトヘイト(人種隔離政策)を知らない所謂〈ボーン・フリー〉世代に属する2002年生まれのタイラに対し、1932年生まれのミリアムはアパルトヘイトに翻弄され、この悪名高き政策の廃止を求めて闘ったフリーダム・ファイターのひとり。思えば、幼い頃から地元の音楽やアメリカのジャズや教会音楽に親しみ、学校の合唱団で歌の才能を磨いた彼女が音楽活動を本格化させた1950年代と言えば、第二次大戦後に政権に就いた国民党政府がまさに、有色人種に対して差別的な法律を次々に制定し始めた頃だ。
当時マンハッタン・ブラザーズやスカイラークスといったコーラス・グループに在籍し、国内で人気を博していたミリアムは、南アの黒人コミュニティを舞台にした1959年公開の映画『Come Back, Africa』に出演したことをきっかけに一躍海外での知名度を上げ、翌年渡米。米国の大手レーベルと契約を果たし、ニューヨークを拠点に欧米での公演活動とレコーディングに精力的に取り組み、ショウビズ界にも政界にも人脈を広げていく。そして、大らかな包容力と威厳を湛えたハスキー・ヴォイスの魅力、ジャンルをクロスオーバーする音楽的多様性、独特のクリック音を含むコサ語による歌唱のエキゾティシズムなどを武器に多くのファンを掴み、米国での最大の支援者だったハリー・ベラフォンテとのコラボ作『An Evening With Belafonte/Makeba』(1965年)でグラミー賞最優秀フォーク作品賞を獲得。アフリカ大陸出身者しては史上初のグラミー受賞であり、彼女こそは初めて世界進出を実現させたアフリカン・アーティストだったと言って差し支えないのだろう。そんな自分の影響力を踏まえて、ミリアムはアパルトヘイト反対運動と公民権運動に身を投じ、それゆえに南ア政府にパスポートを没収され、30年にわたって亡命生活を送ることになる(同時に南ア国内で彼女の作品は全て放送禁止となった)。
『Pata Pata」はまさに、こうしてアクティヴィストとしても存在感を増していた時期に登場。5つの言語を使用し、伝統唱歌ありカヴァーあり書き下ろしあり、世界各地の多様なサウンドを包含する、非常に視野の広いアルバムだった。中でもまず、祖国とリンクを持つ曲群を代表するのが、スカイラークス時代にもレコーディングした冒頭のタイトルトラック。ミリアムが自らイントロで紹介している通り、「Pata Pata(=Touch Touch)」とはヨハネスブルグで人気のダンスの名前だというだけに、レイドバックなグルーヴにダイナミックなメロディの反復を乗せた、アフロポップの傑作だ。
その「Pata Pata」と並ぶミリアムの代表曲と言えば、1960年発表のファースト『Miriam Makeba』に収録されていたコサ族の伝統唱歌「Click Song」なのだが、本作ではこれをよりアップテンポなヴァージョン「Click Song Number One」で再録。「Jol'Inkomo」も南アの南東部ポンドランド地方に伝わる唱歌で、かつてコサ族の若い女性たちが戦士たちを讃えるために歌っていたといい、南ア人の劇作家/プロデューサーのギブソン・ケンテの手でアップデートされている。
他方で「West Wind」と「A Piece of Ground」のテーマは、汎アフリカ主義と植民地支配。国内外のアーティストに曲を提供する売れっ子だった南ア人ミュージシャン=カイファス・セメニアが書いた前者(のちにニーナ・シモンがカヴァーしている)では、「母なるアフリカをひとつに束ねて」と偏西風に祈りを捧げ、スパニッシュ・ギターに彩られた後者では「なぜこの肥沃な地の恵みが、自らそこを耕した黒人に与えられないのだろうか?」と、白人による搾取を嘆く。ドロシー・マスーカ(ミリアムの親友で彼女と同じく亡命生活を送りながら反アパルトヘイト運動に関わったシンガー)作の「Ha Po Zamani」も、〈白人のせいで私はホームレスになってしまった〉と訴え、〈白人どもよ逃げるがいい、私は祖国に戻って来るから〉と誓うプロテスト・ソングなのだが、歌詞はアフリカの多くの国で話されているスワヒリ語で綴られており、抵抗のメッセージをアフリカ全土に届けようというドロシーの想いを引き継いでいる。またアムハラ語で歌う「Yetentu Tizaleny」は、1970年代に数々のヒットを放ったエチオピア音楽界を代表するシンガー、トラフン・ゲセセの曲で、ミリアムは1963年にアディスアベバで行なわれたアフリカ統一機構(現アフリカ連合)の創設式典に招かれ、ハイレ・セラシエ皇帝の前で披露したのだとか。
そしてポルトガル語詞の「Maria Fulo」は、アコーディオンの名手として知られるブラジル人アーティスト=シヴーカの作だ。オス・ムタンチスもカヴァーしたこの曲、調べてみると、舞台は干ばつに見舞われたブラジルの辺境地域で、都市部への出稼ぎに行くのか、故郷を離れねばならなくなった男性が恋人に別れを告げているのだという。ミリアムは、同じように金鉱で働くために故郷を離れる南アの黒人たちの経験に想いを馳せて歌ったのかもしれないし、或いは、当時軍事政権によって表現の自由を奪われて投獄されたり海外に避難したりしていたブラジル人ミュージシャンたちに、連帯感を示す意図もあったのではないだろうか?
もちろん本作には軽いポップソングも収められており、オプティミスティックなラヴソング「Ring Bell, Ring Bell」はいかにも1960年代的なオーケストラル・ポップと呼べる1曲で、普遍的な愛を賛美する「What Is Love」はジョーン・バエズなどが歌ったとしても違和感のない、素朴なフォーク・ソング。英語で歌うこうした〈欧米的〉な曲では彼女の声も、前段で紹介した曲の数々とは一味違うソウルフルな優しさを帯びるのだが、とにかく半世紀前の米国でこんなにもジャンルに捉われないマルチ・カルチュラルな作品が作られたことに、コサ語の曲がヒットしたことに、今更ながら驚きを禁じ得ない。
ところが翌1968年、彼女はブラック・パンサー党の党首ストークリー・カーマイケルと結婚。過激派と見做されて米国での支持を失い、ビザも停止され、夫婦でギニアに移り住む。以後脱植民地化が進むアフリカを中心に活動し、続々独立していた国々を周って、アパルトヘイト廃絶とアフリカ統一を訴え続けた。さらにストークリーとの離婚を経て1980年代にはベルギーでも生活し、1990年になってようやく、ネルソン・マンデラ氏に懇願されて、民主化に向けて動き始めた南アに帰国を果たすのである。
それからは故郷に留まって音楽活動・人道活動に打ち込んだミリアムは、「私は声が出る限り、死ぬ日まで歌っていると思う」と常々語っていたそうだが、2008年11月、まさにステージの上で心臓発作で亡くなった。しかも、イタリアのカステル・ヴォルトゥルノで開催された、アフリカ系移民の殺人などマフィアによる様々な犯罪を暴いたジャーナリストを支援するチャリティ・コンサートの最中というから、なんとも彼女らしい。ちなみに、倒れる直前に歌い終えた曲は、ほかならぬ「Pata Pata」だったそうだ。
(新谷洋子)
【関連サイト】
Miriam Makeba "Pata Pata"
『パタ・パタ』収録曲
1. Pata Pata/2. Ha Po Zamani/3. What is Love/4. Maria Fulo/5. Yetentu Tizaleny/6. Click Song Number One/7. Ring Bell, Ring Bell/8. Jol'inkomo/9. West Wind/10. Saduva/11. A Piece of Ground
1. Pata Pata/2. Ha Po Zamani/3. What is Love/4. Maria Fulo/5. Yetentu Tizaleny/6. Click Song Number One/7. Ring Bell, Ring Bell/8. Jol'inkomo/9. West Wind/10. Saduva/11. A Piece of Ground
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